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早期発見が大切! LD(学習障害)について

LD(学習障害)、ADHD(注意欠陥多動性障害)、高機能自閉症・アスペルガー症候群(高機能広汎性発達障害)は、法律的に「発達障害」と言われています。

幼少期にその特徴が現れ、人とのコミュニケーションが難しかったり、落ち着きが無かったり、勉強が思うように進まないなど、生活をしていくうちに支障が出てきます。

他の子と様子や行動・言動が違うので、
「ヤル気がない」「家庭のしつけがなってない」「努力が足りない」など否定的なことを言われてしまいます。

その言葉によって、落ち込んだり、自分に自信が持てなくなったり、学校へ行けなくなってしまうことがあります。

だけどそれは、「脳の機能」が、他の人と違うためなので、そうなってしまうのは仕方がないことなのです。

単なる「勉強がきらい」「人見知り」「内気である」ということではないのです。

今回は発達障害の中でも、よく取り上げられている「アスペルガー症候群」「ADHD」ではなく、「LD」について考えていきたいと思います。

LDとは?

LDとは、全般的な知的発達に遅れがないにも拘らず、「読み・書き・計算・推測する」などの学習がうまくいかない障害です。

文部科学省の定義としては
「学習障害とは、基本的には、全般的には知的発達には遅れはないが、聞く、話す、読む、書く、計算する、推論するなどの特定の能力の習得と使用に著しい困難を示す、さまざまな障害を指すものである」とされています。

「学習障害」ということばは、もともとは、英語のLerning Disorders(医学用語)を翻訳したものです。
文部科学省の定義ではLerning Disabilitiesを使っています。

研究者によっては「Difficulties」や「Differences」の意味で「D」を使うこともあります。

LDは、読字障害(読む事が困難・文字は読めるけれども、言葉のまとまりがわからない・音読できるけれども、内容が理解できない)、書字障害(読む事は問題ないが、書くことに困難がある)、算数障害(計算に困難さがある)、その他に特定不能の学習障害があります。

~私の実体験から~

<①文字を読むこと>

小学校の視力検査の時にカタカナの「ヲ」を示された時、
「あれ、何だこれ?」「何て読むの?」と頭が真っ白で分からなかったことがあります。

今思えば「見えません・分かりません」とウソをつけばいいものを、
バカ正直に「見えるけど読めません!」と言ってしまったことがあり、先生に失笑されたことがあります。

あとで教えてもらって二度と間違えないようになりましたが、あの時のことは鮮明に覚えています。
本当に記号か何かのデザイン、他の国の言葉に見えたのです。

アルファベットに関しては、近所に英会話教室があり、教材をあれこれいじって遊んでいるうちに、英語の発音・スペルが自然と耳になじんでいました。
習っていなかったら、今頃は英語が苦手だっただろうなと思います。

<②書くこと>

幼稚園のころから、同じ団地の子が「書道」を習っているということで、硬筆・毛筆を習っていました。
墨のにおいが好きで、鉛筆を削るのも好きだったことや、先生も優しかったこともあり、続いていました。
コンテストで入選したいとか、全く欲がなく、
母親が書く文字が比較的きれいだったので、
「お母さんみたいな字が書けるようになりたいなぁ」と思っていました。

おかげで、文字を書くのが好きになったのだろうなぁと思います。

<③計算すること>

小学校の時、友達が「そろばん教室」に通っていて、習う気はなかったのですが、通うことになりました。
そろばんよりも「暗算」が楽しかったです。
おかげで簡単な計算なら、頭の中のそろばんで暗算できるようになりました。

<④運動することなど>

そのほかにも、ピアノ・スイミングにも通って、なんかたくさん習い事させてもらったなぁ~と思います。
両親は、自分たちが出来なかったことを子供に体験させたい!との思いから、習い事をさせてくれたようです。

そのおかげで、今の自分があるのだと思いますし、今頃になってですが、習っていなかったら「どうなっていたんだろう?」と不安になってきました( ;∀;)

習い事をしていなかったら、
私にもLDの傾向があったのではないだろうか?と思います。
幼少期に色々な経験をすることが大切なのだと実感します。

LDがある人は、私が視力検査で体験した思いをしながら日々生活をしているのですね。
意欲があっても、どうにも出来ないもどかしさ。
周りのみんなが出来ていることが出来ない。
とてもつらいことだと思います。

知的障害はないのに、なぜ読み書き計算などに困難があるのでしょうか?

 

脳の機能を知ろう

「見る」ことについて

「見る」ということは、視力も大切ですが、「脳」を使って見ています。

視界の情報としては、多くのものが入ってきます。
形・大きさ・色・明るさ・質感(固い・柔らかい・さらさら・ザラザラ等)・位置・運動の方向(ボールや風船がどこへ飛んでいくのか)

「見る」ことには、「どこ?」の経路と「なに?」の経路があります。
目で見た情報が、脳の後頭葉に伝えられ「物の位置・動き」をとらえ、同時に脳の側頭葉にも伝えられ「形・色など」の情報をもとに物を認識します。

ここで、ひとつ視覚に関しての事例をあげたいと思います。

生まれつきの疾患で「先天性白内障」があります。
これは、目の水晶体が白く濁っていることが分かると、直ちに手術をします。
成人後にこの手術を受けても、物を見る機能が十分に回復しないそうです。
物を見ることは学習することによって獲得する力なのです。

また、脳には学習に適した時期があります。
脳の発達では、学習が可能な時期のことを「感受性期」といいます。
子どもの頃に正常な視界体験をしておかないと、脳の中で視界情報を処理する機能が発達せず、成長してから目を治療しても、見る力が獲得できません。

「見ること」には、目だけではなく「脳」も重要な働きをしているのです。

脳を機能させるためには、感受性期に必要な経験を通して学習しておくことがとても大切なのです。

「聞く」ことについて

「聴力検査」をして、異常なしと結果が出ても、「音」として認識するのではなく、
「言葉」としてちゃんと聞こえることが大切です。
「聞こえているのに、聞こえていない」状態になります。
また、音の聞き分けが難しいこともあります。

例えば、しりとりで「くじら」→「ラッコ」とつながるところ、ラッコではなく、「なす」と答えます。
「ら」が「な」に聞こえてしまうのです。

「脳」の中で言語的な処理を担っているのは、脳の側頭葉にあるウェルニッケ野(感覚性言語野・相手の言葉や自分の言っていることの理解、文章の理解といった言語理解の機能)と前頭葉にあるブローカー野(運動性言語野・言葉を話したり、文字を書いたりする際の一連の運動を担っています)

ウェルニッケ野を損傷すると、話し言葉や書き言葉の意味が分からなくなります。
ブローカー野を損傷すると、相手の言っている事は分かるのに、話すことが出来なくなります。

 

「LD」かな?と判断するには?

ここで紹介するものは、大まかなものです。
気になる症状がある方は、医療機関で診断を受けて下さいね。

【聞き取りについて】

①聞き間違いがある(意味のとり違いなど)
②聞き洩らしがある(聞いてあるはずなのに)
③面と向かって言われると聞き取れるが、集団の中で言われると難しい
④指示、指摘されたことの理解が難しい
⑤話し合いが難しい(話し合いの流れなどが理解できない)

【話すことについて】

①適切な速さで話すことが困難
②言葉につまったりする
③タントの羅列や、短文で内容に乏しい話しをする
④思いつくまま話したり、筋道の通った話しをするのが難しい
⑤内容を相手に分かりやすく伝えることが難しい

【読むことについて】

①読み間違えが多い
②文中の語句や行を抜かしたり、繰り返し読んだりする
③読むのが遅い
④勝手読みをする(いきました→いました等)
⑤文章の要点をつかめない

【書くことについて】

①まっすぐに書くことができない、文字の大きさがバラバラ
②独特の筆順で書いてしまう
③漢字のこまかい部分を書き間違える
④短い文章や、決まったパターンの文章しか書けない

【計算することについて】

①簡単な暗算が出来ない
②計算にとても時間がかかる

※あてはまる項目が多くても、あくまで参考までにです。

 

LDを持つ方へのサポートについて

それぞれの障害に応じてのサポートについては、現在ではネットやアプリの情報が活用されているようです。
ネットワークとしては全国LD親の会があります。

学校の教育と違って、それぞれの方に対応した支援が必要です。
その支援の方法は、私が調べてみたところ、書籍・インターネット・アプリには、たくさんの色々な方法があり、このブログで一つ一つ紹介すると大変なことになるので、LDの支援方法と検索せずに、それぞれの障害(読字・書字・計算等)について検索して調べてみて下さい。
その中から「面白そうだな☆」「楽しく続けられそうだな♡」と思うものを試してみるといいと思います。

調べていくと、支援方法だけではなく、全国で一緒な悩みを持っている当事者の方や親御さんの経験談等も知ることが出来ますよ。

支援のベストな方法は、本人が楽しく興味をもって根気強く取り組めるものを一緒に探してあげることです。

そして、本人のペースで努力していることを見守ることです。

特別な方法があるのではなく、一緒になって取り組むことが大切になります。

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