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「障害」だからと最初から諦めていませんか?

私は「障害」があるとの診断を受けたことはありません。
生まれつき不整脈はあります。一度ペースメーカーを入れた方が良いと手術を勧められました。別の医師にセカンドオピニオンをしてもらい、ストレスをためないことや生活リズムを調整することで大丈夫とアドバイスをもらいました(但し、高齢になると手術が必要になるかもとは言われましたが…)。色々な誘惑がありますが、しんどい思いをしたくはないので自分を律するようにしています。

 

「障害」を盾や壁にしていないだろうか?

ここ最近、利用者さんと接している時に”モヤモヤ”と思う事が出てきました。


それは、「障害」を盾や壁にして、自分の可能性を狭めているのではないか?ということです。
また、周りの人達も障害に負けずにヤル気を出させたり、発破をかけるわけでもなく、「そのままのあなたでいいのよ~」という感じの方が多いような気がします。

①字を上手く書くことが難しい利用者さんがいます。
その方が書いた字を読むのは、いつも暗号を読むような感じです。

ある日、「ゆっくりでいいので丁寧に書いてみては?」とアドバイスをしたことがあります。その方から返ってきた言葉は「障害だから仕方がないんですよ」と当然のように言われました。
自分は読むことが出来ると思いますが、他の人が見ることを考えていないようです。
何故自分がアドバイスをされたのか?を考えることなく、また「障害」を盾にしてしまい、改善しようという感じは残念ながら見られませんでした。

②遠い場所へ一人で行くのは疲れるから嫌だという利用者さんがいます。
「休みの日にでも、時間を気にせず行ってみてはどうか?」とアドバイスをしても、本人は「障害が出て、途中で倒れたらどうしよう」「いざとなった時にいつでも親に迎えに来てもらう状態でないと行くことが無理です」と言い、トライする前から不安が先走り、諦めてしまいます。


スタッフが「先日のカラフルのイベントに参加された時に施設をグルグル周ったのは疲れなかったの?」と尋ねたところ何も言い返してきませんでした。楽しい事は大丈夫なのに、それ以外は考えるだけで疲れてしまうのでしょうね。

利用者さんの身体・精神の常況を同じように実体験できればいいのですが、「こんなにしんどいのに!」と訴えられても、私としては、どれほどの「しんどさ」なのかは想像・共感するより他に術がありません。

それにつけても、やってもいないのに最初からギブアップするという選択は一人の同じ人間として如何なものか?と疑問を感じずにはいられないのです。

 

”チャンスの神は前髪しかない”

人から助言をしてもらうという事は、自分はいい加減な人として見られていないということです。
「この人に良くなってもらいたい!!」という想いが無ければ助言はしません。助言する方も「嫌がられるかもしれない」と思いながらしているのです。

「この人、後々恥をかいて分かるしかないなぁ~」と無視して放っておいた方が楽なのですから。

ですから、助言をもらった時は自分が変わることが出来る絶好のチャンスです。助言してもらったことを素直にトライすれば、以前の自分よりパワーアップすることが出来るのです。

 


努力している姿を笑う人はいません。笑う人がいればその人は、かわいそうな人です。

 

自分で決めて行動すること

何事も最終的には自分なのです。周りの人は声をかけてくれたり、アドバイスをくれたり気遣ってくれるかもしれませんが、決めるのは自分です。

その覚悟があるか否か。
行動に移す前は経験が無い分、未知の世界で怖い事もあるでしょう。
でも、やってみたら世間は案外と簡単・シンプルなもので、「どうして悩んでいたんだろう?」と杞憂であることが多いものです。

利用者の皆さんにはカラフルを卒業するまでに、「障害」の盾や壁を突き抜けて、何かしらチャレンジをして「自分ってスゴイ!!」ということを実感して欲しいなと思っています。

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